本を選ぶ
骨折してリハビリの病院に入院中の母のために、一週間に一回本を届けている。一度、兄が婦人公論を買って届けたら、
「あれは特集がおもしろくないから捨てちゃったの。だって、介護についてなのよ」
と憤慨したようすで、介護からあまり遠くないのに、とくすっと笑ってしまい、
「じゃあ、おかあさんが好きそうな本を届けるわ」と約束したのだ。
今までに届けたのは、5冊ほど。
舟を編む 三浦しおん
編めば編むほどわたしはわたしになっていった 三國万里子
おべんとうの時間がきらいだった 阿部直美
さがしもの 角田光代
さよならは小さい声で 松浦弥太郎
わたしの本だなの中から、母が読みやすそうなもの、且つ、好きそうなものを選んだ。
コロナ禍、面会はできないため、ときどき電話をする。すると、
「ありがとう。面白かったわ」と、読んだものから感想を聞かせてくれる。
人生の中で立場は逆転し、わたしに絵本を選んでくれていた母に対して、わたしは本を選んでいる。
さんざん読み聞かせをしてきた長男が、今はわたしに本をよんでくれる。ときどき、本当に気が向いた時、ソファでごろごろしている私に、
「おかあさん、読んであげようか」
と、要は、自分が気に入った短編を自分が読みたいのだ。その証拠に、息子の読み聞かせにはサービス精神がほとんどなく、もごもご読んでいるかと思えば笑ってしまい、聞いているほうはいまひとつ入り込めない。
まあ、いいんですけどね。
わたしも、小学校での読み聞かせボランティア歴が長く、あれはとにかく淡々と読むことがポイントなのだ。情感たっぷりに読んではいけない。
子どものイマジネーションが広がるのを妨げるのはタブーだ。
でも、わたしはよく、怖そうなグリムやアンデルセンを図書館で借りて来て、
情感たっぷりに自分の子どもたちに読んでやった。
ラプンツェルとか怖いですよ。息子はいつもヒーッと震え上がっていた。
わたしの枕元の本だな
そして今、わたしはチョコレートを選んでいる。だれかのために何かを選ぶというのは、手伝っていても興味深い。チョコレートをどんな人のために買おうとしているのか聞かせてもらって、いっしょに選ぶのも何とも楽しいひと時だ。