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わくわく

最近、学生さんから連絡をいただき直接お話をする機会が増えてきた。

少し前には、インテリアや建築を勉強している大学生の方。

シャッター商店街の在り方やストリートファニチャーの提案などをテーマに卒業研究をしているとのこと。

先週は、高校三年生。大学ではフェアトレードを学びたいので、チョコレートの話を聞きたいとのこと。

私は決して、チョコレートの専門家ではない。チョコレート愛好家とでも言うべきか。

ちょうど料理を仕事にしていても、シェフ、料理人、料理研究家、料理愛好家など、さまざまな肩書があるのと同じ(だと思っている)。

私も、若い方が考えていることを知るのは楽しいので(親目線)、だいたいの場合お受けする。先週は一学期の終業式を終えてから、自転車で砂山まで来てくれた。

 

 本や写真を見ながら、私が話せることをお話する。

専門家ではないけれど、チョコレート愛好家ならではの視点で。

学生のお二人はどのような夏を過ごされるのだろう。

わくわくする気持ちが透けてみえるようで、

将来を見つめるきらきらしたまなざしから、私も元気をもらう。

私も、自分の「わくわく」をもう一度見つける夏にしたいと思う。

そのために、夏休みはチョコレートの、本当に個人的な勉強に行ってきます。

ヨーロッパに、と言いたいところだが、東京に。


いつか、お互いの「わくわく」を報告し合えるとよいですね。
大学生、高校生最後の夏が実り多いものになりますように。

 

 

 

ピラティスを始めて3ヶ月…。

ピラティスを始めて3ヶ月が経った。

とは言え、週に何時間かレッスンを受けるだけなので、身体が劇的に変わったというわけではない。

 

走るのをやめてしまってから何年も経って、一念発起してピラティスを始めたのは、何を隠そう

よくつまづくようになったから。

脚が自分で思うよりも上がっていない。

ピラティスを始めてわかったが、これは腹筋の衰えによるところが大きい(らしい)。

ご存じの方も多いと思うが、ピラティスは体の柔軟性を高めることや、筋肉を大きくすることを目的としているわけではなく、インナーマッスルを鍛えて体のバランスを整えることを重要視している。

それは何となくは知っていたけれど、力まかせや勢いでやることと正しくやることの違いがわかってきた。同時に自分のできないことやバランスの悪さがわかってきた。

ピラティスの先生が言う、

「(何処どこの)筋肉にスイッチが入りましたか?」

という表現のとおり、その筋肉に効くことをやっている、という感覚だけはわかるようになった。でも、あるべき形にはほど遠い(;´Д`)

 

でもでも、

「病気ではないけれどさえない感じ」から、少しずつ良い方向へ向かっていると思う。それは私が主体的に直せると知っていたのに、今までやらなかった。

次は、食べるもの、食べ方についても、からだがよろこぶことを知っていきたい。

 いろいろな理由が重なって、どうほどいていったら良いのかわからない感じだったのよー。

 

 

 

 

前のめりな人

私は、Aztec Camera(アズテックカメラ)というバンドがいちばん好きで、色々な音楽は聴くけれど、「アズテックカメラしか好きじゃない」という状態がかれこれ30年近く続いている。

主人は音楽が好きな(詳しい)人だが、私がアズテックカメラがいちばん好きだと言うと、

へえー、

「アズテックカメラも好き」とか

「アズテックカメラのこの曲が好き」とかは聞くけど、

アズテックカメラしか好きじゃない人には初めて会ったなぁ、とめずらしそうに言ったのを覚えている。

なぜ好きか?

前のめりなところ、そしてその前のめりさがものすごく好ましいから。

曲を聴いていて、感情が高ぶって調子っぱずれになるのがまた大好きなのだ。

私は他のジャンルにおいても前のめりな人が好きらしい。

没頭するあまり前のめりになってしまう人間に好感を抱く。それが歌手でも作家でも、あらゆる創作者に対して。

ライターをやっている私の長年の友人は、

インタビューしていると相手にどんどんにじり寄っていき、身体も前のめりになりアクションが大きくなり、カメラマン泣かせだと言っていたが、彼女のそういうところが好きだなぁ、と思う。文章にも、相手のことを知りたい!っていう気持ちがあふれている。

 

この前のめりさ、好きなものに対しての真っ直ぐさで思い出す絵本がある。

 

レオ・レオーニ

「あおくんときいろちゃん」

あおくんときいろちゃんは、遊びはじめると

「うれしくて もううれしくてうれしくて」←原文ママ この表現が私は大好きなのだ

あおくんの青ときいろちゃんの黄色が互いに混ざり合い、ひとつの緑になっってしまうというくだりがある。

ちょうどウクライナカラーなので、少し前にひっぱり出して読んでみたら、

これ人種やら宗教やらを超越した人の融和の話じゃん、と遠く離れた日本から思った。

 

 今日もアズテックカメラを聴いて、前のめりな友人のことを考えた。

 

 

 

STRAY / ストレイ 

なんで「カメラ」なの?、とだいたい訊かれる

「わたし」ってだれ?

もう一度読みたいと思っていた絵本のタイトルがなかなか思い出せなかったのだが、最近ふとしたことからまた手にすることができた。

 

「わたし」

谷川俊太郎 文  長新太 絵

福音館書店

 

わたしって、だれなんだろう、を考える本。

「わたし」は、おにいちゃんからみると、いもうと。おかあさんからみると、むすめのみちこ。せんせいからみると、せいと。となりのおばさんからみると、やまぐちさんのしたのおこさん。

がいじんからみると、にほんじん。うちゅうじんからみると、ちきゅうじん。おもちゃやさんへいくと、おきゃくさん。れすとらんへいくと、おじょうさん。しらない人からみると、だれ? ほこうしゃてんごくでは、おおぜいのひとり。

あたりまえだけど、ぐるんぐるん変化している自分の立ち位置を描いている。

子どもにこの本を読んで聞かせると、腑に落ちるんじゃないか。

 

私はここでは店のひとだけど、スーパーに行けばおきゃくさん。

アメリカでは「がいじん」だったけど、浜松では地元のひと。

はたらく社会人だけど、家に帰ればおくさん、おかあさん。

実家に帰ればむすめ。

たまに講座で話すことを頼まれてせんせいにもなるけど、最近始めたピラティスのクラスではせいと。

 

だから、その場の一過性の立場だけで振る舞うようなひとはいやだなぁと思う。

息子を怒鳴りちらすこともあるけど、母に諫められることもある。

さっきコンビニ行ったときに道案内をしたおばあちゃん(ビオあつみをさがしていた)に明日助けられるかもしれないし、

スーパーで奥さんの買い物メモを片手に困っているおじさんといっしょにブロッコリーを選んで感謝されたら、そのひとは来週会うえらいひとかもしれない。

うちの子どもたちが、色々なところで人に迷惑をかけたり、親切にされたりしているはずなので、私もそんな人たちへのお礼のつもりで若者に接する。

 

もし、みんながそうなったら日本は、世界は少しは変わるだろう、きっと!

 

 

これからのノネット

instagramの投稿でもお知らせしましたが、今月後半から店舗にいる日が少なくなります。

水曜日、木曜日の定休日はこれまでどおりですが、

月曜日、火曜日は、いま「くらぐら」で関わっている キッチンCrametの仕事を手伝うことになりました。主には配達、店番です!今後、キッチンCrametの事業拡大のためにお弁当の配達を始めます。そして、来年1月まで2階が、浜松城下町コンシェルとしてオープンしているため、Crametの店番も私が兼ねる予定です。

4回の「くらぐら」と「リノベーションフェスティバル」でくらぐらのシェフの作る料理を食べてきましたが、実直な人柄があらわれている品々です。いままで、イベントでしか食べられなかったくらぐらめしを私が届けます。

金曜日、土曜日、日曜日は砂山にいます。毎月第1、第3土曜日のサザンクロス朝市、毎月第2日曜日のサザンクロスほしの市にはこれまでと変わらずに参加します。

勝手ながら、店舗の営業時間は16時までとさせていただいております。今まで家事都合とだけ書いてきましたが、私の母の退院後のサポートをするためです。店を始めておきながら、お客様にご不便やご迷惑をおかけしてしまうのですが、何よりも自分が後悔しないためにそう決めました。

アメリカのハイスクール時代、17のころ、ホストファミリーが何度も変わって人間関係がうまくいかないとき、国際電話で帰りたい、と母に泣きついたことがありました。

そして、あっさり、ダメ、と言われました。

あなたは絶対に後悔する、最後までやり遂げなかったことを背負いながら生きていくのがあなたにとって良いことだとはとても思えない、とにかく最後までやりなさい、と。

そして曲がりなりにも最終学年を終え、懲りずに、後にアメリカの大学にも行ってしまったのです。

自分が親になり、娘があの頃の自分の年齢になると、果たして遠く離れた17歳の娘にそんなことが言えるかな、と思いました。 後悔、ということを考えるとき、必ず思い出す言葉です。

 

私事が長くなってしまいましたが、

当面の間、

月、火 Cramet

水、木 定休

金、土、日 サザンクロス

で回してみたいと思います。

 

今年度もよろしくお願いいたします。

ここから何が生まれるのでしょうか

 

TOKYO

何かのきっかけで、止まっていた時計が動きだすような経験ってあると思う。

東京を離れて20年以上経って、仕事で行く機会はあっても、敗北感のようなものがつきまとい封印している部分はあった。東京はもういい、なんて思っていたかもしれない。

ところが、娘が上京し、私がかつて住んでいた沿線上の隣の駅に住むことになり、いっしょに東京という街を歩いているうちに、私の中の東京が変わり始めた。それは、まるで止まっていた時計が動き始めたような感覚だった。

 若者の真っ直ぐさと、瑞々しい感性を通して追体験すると、

へえ、そんな面があるの、と私が自身の東京をたどり始める。

東京ってこうだ、という決めつけがない方がずっと楽しい。

 

20代を過ごした東京はきびしかった。好きなこと、やりたいことにとことん向き合うのが辛かった。

東京で30年暮らす友人がいる。ライターが生業だ。

マスコミに取り上げられることも増えて、そのたびに「すごいですね」と言われてもビジネスとして成功しきれていない自分に情けなさがふくらんでしまう、と言っていたのを聞いて、

ううん、でも、好きなこと、やりたいことに向き合い続けているのはやっぱりすごいよ、その「すごい」だよ、と思う。

 彼女と最近またやり取りするようになって、私もまた文章を書いてみたいと思うようになった。

「書く人になると思ってた」と言われるけど、

私は好きすぎて乗り越えられなかったの。

そして今、止まっていた時計が動きだすように、書きたい気持ちが自然に私の中にある。

 

 

 

 昔は冷たいなあ、と思ったけど、

今はやさしい街に感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

階段を下るように

老化は階段状にやってくる。

ゆるい坂を下るようなイメージではなく、結構大丈夫じゃん、と思っているとある日突然一段下がる。

私も例外ではく、かつてランナー(大したことないランナー)だったのも、ヨガを熱心にやっていたことも、遠い昔のようで貯金はつきた。

 体重が増えたことは言うまでもないけれど、最近、身体のあちこちが痛い。

今は首が痛くて、運転しているときには、ゆっくりと、なるべく上半身もいっしょにひねって目視している。

いつもどおり道を歩いていると、急に突進してきた大型トラックを避けることができずに轢かれてぺちゃんこになる哀れな若者。アメリカで見た、そんな展開が描かれた新聞の4コマ漫画をなぜか強烈に覚えている。そのトラックには「Old age truck」と書かれていた。アメリカ人の好きなテーマらしく、このネタは何回か見たことがある。

おそらく、1990年代のアメリカ。

それ、いまの私じゃん!と、突然また思い出した。

今週私は、ピラティススタジオに入会した。

今年成人する長女を出産した後に少しかじったのが最後、ほぼ20年ぶりだ。

ここのところ何かと忙しいが、時間は作るもの。

私は、これしかやらない(例えば、りんごしか食べないとか)、

これはやらない(例えば、炭水化物は食べないとか)というのが苦手だ。

何かを減らすより、何かを増やすほうがストレスが少ない。

 

 

 ピラティスレポートをお楽しみに。

 

 

 

 

 

ふつうにおいしい

お客様がさがしているのはどんなチョコレートなのか?

決して安くはないチョコレートなので、気に入っていただけるであろう1枚に絞るのに、今まで食べた中でどんなチョコレートが好きでしたか、と訊くことが多い。

 カカオ成分が高いもの?

フレーバーがあるもの/ドライフルーツやハーブ、黒コショウ、パン粉、塩が入っているものはどう?

ミルクチョコレートのほうがいい?

お砂糖の種類にもこだわる?

 

ここで岐路に立つ。

カカオ成分が高めで、カカオの風味がダイレクトに味わえるものがいい、

と答える方と

甘いチョコレートが好きなので、ミルクチョコレートがいい、

と答える方とでは、

進む方角がまったく違ってくる。

 

甘いチョコレート=おいしいチョコレート

とは限らないが、さぐりながら話を進めていく中で、こういう表現を聞く(そして私もときどき口にしてしまう)。

 

「ふつうにおいしいチョコレート」がいい。

 

おそらく、一部の人だけが好む類ではなく、大多数の人に好まれるようなチョコレート、という意味で使っているのだと思う。

あれ、でもおかしいぞ。

「おいしい」はそれだけでプラスの評価のはずだ。

一方で、「ふつう」とは、

特に変わった点はなく、特別でなく、ありふれている、という意味を持つ。

 

通じているけど、「ふつうにおいしい」ってどういう共通認識なんだろうと疑問に思ってきたが、「ふつうに」は新しい用例として認められつつあるらしいのだ。

それが、

ありのままであるようす、正直なところ、という意味らしい。

 

いまや、「ふつうにおいしい」は、

思ったよりもおいしいし、平均点はかなり上回っている、くらいのニュアンスなのか。

まさに、「舟を編む」の用例採集ではないか。

乱れているのではなく、変わっていく言葉。

言葉でチョコレートの味をどうあらわすか、というのも私の大きなテーマのひとつ。

 

セミナーでの試食会にて。

しかし最後は、「私を信じて!」と言いたくなってしまう。

You have to believe me!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失恋記念日

オープンしてからどのくらい経つんですか?

ときかれると、

2022年6月のほしの市に(店を)開けたので〇ケ月です、と答えてきた。

それ以前にも、会社を辞めてから業務委託のような形態で仕事はしていたので、自分の中ではひとりのスタートは3月24日としている。開業届けを出した日。そして、娘が上京した日。

私は少し遅れて、二泊しながら身の回りの細かいものを買いそろえにいった。キッチン用品、掃除用品 etc...、買い物マラソンのような三日間はあっという間に過ぎて、私だけが浜松に帰る。その新幹線の中で、私は人目もはばからずに泣いた。たぶん、いちばんぴったりくるオノマトペは「ぽろぽろ」だ。大粒であることが自分でもわかる涙が次から次へと流れ出て、ここは泣かせてもらおうと、泣き止む努力もせずにひとしきり泣いた。

泣きながら感じていた胸の痛みは、いつか感じた痛みだった。なんだっけ、これ、としばらく考えてわかった。そう失恋の痛み。フラれたときの痛み。好きな人との楽しい時間はもう私のもとには訪れない、という現実と対峙している真っ最中の痛み。そして、二人の過ぎた日々への後悔の痛み

 

 働いてきたので、いつも娘第一だったわけではない。そして最後は勝手にフラれて泣くなんて、私って間ぬけだ。

それから数か月、ひとりになった私は失恋の痛みから立ち直るのに必死だった。完全に吹っ切れるまでに数か月を要した。

 

周囲からは、娘さんいなくてさびしいでしょう?

とよく言われるけど、私はこう答える、

「一度フラれて、それから完全に立ち直ったので平気なんです」。

 (さびしいけどね、でも第二章が始まったのヨ)と、心の中でつけ足す。

 

あの失恋記念日から一年経つよ。あなたが東京でひとりでがんばって居場所を作っていったように、組織を離れて私も少しは居場所ができたと思う。

いたいのいたいのとんでいけ、のてんぐちゃん。

これで、痛いところをトントンするといいらしい。私は自分のハートがあるあたりをトントンしていたよ。

 

玄関とリビングルーム

 私は17歳で単身渡米し、アメリカで高校、大学時代を過ごした(途中帰国していた時期もありましたが…)。思春期真っただ中、そして大人になる時期を異国で一人で過ごしたので、それなりに人間関係には苦労した。アメリカ人と親密な交友関係を築くのはそれはそれは大変なことだった。

(個人的な体験談です)

「え、そうなの?アメリカ人って、気さくでむこうから話しかけてくれそうなのに」と、よく言われる。

 アメリカ人はフレンドリーというのは、かなりおおざっぱなgeneralizationだと思う。

たしかに、

ハーイ!で始まり、元気?、最近どうしてる?程度の言葉を交わし合う知人はすぐにできる。別れ際には、良い一日を!、楽しい時を過ごして、も忘れない。

しかし、そこから先にはなかなか進まなかった。

(個人的な体験談です)

逆に日本では、元気?、最近どうしてる?と言い合う間柄になるのはそれほど簡単ではない。

相手の近況に関心を持ってそれを口に出すなんて、ある程度心を許しているときにしか(そして相手も同じように思っていると確信できるときにしか)、まずしないだろう。でも、日本人はいったん心を許してくれると、かなりの部分を共有させてくれる(と思う)。

 

これを、私は「玄関とリビングルーム」の法則と勝手に呼んでいる。

 

アメリカ人は玄関にはすぐに入れてくれるけど、その先、リビングルームに招き入れてくれるまでには努力を要する。玄関であしらわれることがなんと多いことよ。孤独だった私はこれに泣かされた。一見フレンドリーだが、心の内をなかなか見せてもらえない。

日本人はなかなか玄関に入れてくれない。でも、いったん玄関に入れてくれると、リビングルームまでの距離感はかなり近い。

玄関に入るとすぐに、ねぇ、上がってお茶でものんでいきなさいよ、と誘ってくれる感じだ。一見シャイだが、友達として認識されると、親切で情に厚い性質を発揮する。

(個人的な意見です)

人種で十把ひとからげに考えるのは、かなり乱暴なのだけど。

どちらがいいかと聞かれれば、玄関とリビングルームは近いに越したことはない。

浜松の人はどうだろう。

この土地で商売していく場合の玄関とリビングルームの関係はどうなんだろう。

 

 ちょっと離れて見たサザンクロス。

商店街にあるこのマンション、けっこう高いんだな。